愛娘




そう。
それは。それはもっとも幸せな時期だった。


「シショーは・・・女性に興味ないの・・・?」
今まで生きてきた環境のせいか、極端に眠りが浅く、睡眠自体が短時間しか必要としない弟子に付き合い、
薬草の調合を教え説いている時に、頭が痛くなるような質問。

体術を教えていれば確実に一喝入れているところだ。

丁度、死角にいて、視線だけでなく顔を向けた。
弟子になったばかりの娘は、地に体を預け、静かに自分の手元を見ている。


睡眠は別として、激しい修行をすれば体は休息を必要とする。

体を動かし、耐える事の出来ない筋繊維が千切れて起きる現象が『筋肉痛』。
それが回復する時、次は切れないように筋繊維が太くなっていく事で、『筋肉』となる。

その為には現在の筋肉の出力上限を超える肉体の駆使がいる。


だが、この娘は普通の生活ですらそれが起こるほど、痩せ細っていた。
食事も取れず、高熱を出し寝込めば、筋力から落ちていく。
元の栄養状態も悪かったせいで、幾夜も覚悟と心配な時を過ごした。


その極限状態から始めた修行は、今日も痛みと疲労が酷く祟っているだろう。


本来は静かに寝かせておいてやろうと思ったが、眠れぬ本人がそのままの姿勢でもなにか教えてくれと願った。




変われば変わるものだ。



異性に対する欲や邪念は削り落とした。
いや、『アサシン』として、人を人と見ない様に心は潰した。
やっと、闇の中から引き上げる事が出来た、殺さなくてもいい『命』。
それは親子ほど、うまく行けば孫ほど歳が離れた「チップ」という存在。




激しい修行に耐え、細かった体は、やっと実践的な闘士の筋肉を付けてきた。
半分閉じかけている眼も、虚ろから本来の輝きを取り戻した。
栄養不足で青白さが目立った肌も唇も、薄く色を付け出した。
刃物で乱雑に切り落とし長さがバラバラではあるが、髪も艶を放つ。


時代が時代で、人が人として生きて行けた時代や世界であれば、それなりに美しい娘になっていただろうと、
睫毛が長いチップの整った横顔を見る。





均一に薬草をすり潰していた手元の動きにムラが出てきて、真横の師匠の顔を見上げると目が合った。
面倒な質問には、ガン無視で、耳を傾ける事もしないのに、視線が交わった事に少し驚いた。
それから自分がとんでもない質問をした事を悟る。
薬草の効薬を聞いていて、ふと思っただけで、自分的には深い意図はないのだが、どう聞いても『誘う』台詞だった。





視線が合った後、挙動不審に目を泳がしたチップに、本当に手間が掛かる弟子だと心底思う。
よく言えは率直素直、悪く言えば直情傾向で不慮が多い。
『言葉を探れ』と教えたが、生まれ持った性格なのか治りそうにないようだ。




「小娘に興味はない。」




言い切られたそれに、なんとなく安心した。
まあ、それもそうかとも思う。

師匠の硬い拳は、顔でも胸でも腹でも容赦なく叩き込まれる。

その痣に塗る軟膏は、師匠が塗ってくれていた。
麻薬の禁断症状で酷い熱を出した時は、体を拭いてくれた。
礼儀として隠せとは言うが、着替えは背を向けていても目の前でもするし、水浴びも一緒にする時がある。

今でも勝てないのに、本気の実力をまだ隠している師匠にその気があったなら、自分はとっくに性の奴隷にされていただろう。
いや、肉も精神も、命さえも簡単に弄ばれる。



自分も、師匠に師匠としての興味はあるが、『男』としての興味はない。
ストリートで『男』以外は何も無いクセに威張るヤツを打ちのめしていたチップにとっては、『男』を主張する時点で嫌悪の
対象でもあるので、仕方ないのかもしれないが。





『小娘』と言う言葉に少し頬を膨らした様だが、何かを勝手に納得してチップは目を閉じ数度頷いている。
それでも大分、眠りに近いのであろう。開ける瞼が重そうだ。


調薬をひと混ぜすると、指ですくい、チップの口元に持って行く。
疑う事もせず素直に口を開き、指ごと含む。

いつもは思わぬのに、女性特有の唇の柔らかさと、舐め取る小さな舌滑らかさを少し感じた。

それでも。
雛にエサをやっている様だと思う感覚は拭えない。



「マズ・・・い・・・」
「この味が目安だ。食しても大丈夫な物は傷に塗っても毒にはならん。“道理”だ。覚えて置け。」


苦味に勝手に眉が寄る。吐き出しに行くのが面倒で、毒ではないなら別に良いかと、無理に飲み込んだ。
不意に、何かが髪に触れた。
見ると、普段そんな事をしない師匠の大きな手がゆっくりと頭を撫ぜてくれていた。



それでも知っている。
熱にうなされていた時、悪夢に囚われていた時、傷口を縫ってくれた時、髪を切ってくれた時、修行中に動けなくなった時。


微笑んでいる時。


「弟子に手を出す師匠は“外道”だ。子に対して親が、子供に大人が手を出すのもまた同じ。道理から外れた行為。
分かるな?」

一つだけ頷いたチップも少しだけ笑う。
重い体をゴソゴソ動かして、師匠に寄り付く。


何か言葉を紡いだが声としては出ず、柔らかなぬくもりにそのまま・・・



小さな吐息をしだした幼子に、なんとも言えない保護欲を覚える。
いつか自分の元を飛び立つであろう小鳥の、強く羽ばたく背を見たい。


その為にならば、細い体へ拳を打ち込み、弱い心を諭し、筋を強く鍛えさせ、全ての知を授けよう。

それ故に、いくらでも敵となり、怨となり、嘘を付き、負の対象ともなろう。



お前にも。
自分自身にも。




胡坐を組んだ自分の足を枕にして眠る弟子の頭を撫ぜていて、ふと日本語の一つを思い出した。



それは。
それは幸せな・・・




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チップにとって師匠は始めての『大人』だったんだろうなと。護って諭して教えて叱って見守って。そら、シッショーシッショー言うって。
と、いう酷い話。つーワケで(謎)甘え属性あったらいいなというか、自分は付ける。(公害)